東京表参道結婚のmaamエピナール お別れ
クラウン3000をかったのは遥か昔
夫の為に買い求めた車です
転んで膝の半月板が割れて救急車で
救急病院に運ばれて入院
糖尿を持っていた夫の回復は
健康な方の退院より2ケ月は長くかかった。
膝には瀬戸物の半月板が入った生活が始まった。
それから約1年
私の慈母が亡くなり 二人で葬儀に出た時
足の小指と薬指の間の股に水疱
これが足を切断する始まりに気が付かなかった
葬儀が終わって すぐに皮膚科へ
いただいた薬は軟膏
全く効かない
おかしな悪臭
大きな病院へ
糖尿からくる壊疽が始まっていた
小指を落とし
それから4回にわたり
したから足を刻んでいって
太ももと膝の間でようやく
壊疽を止めることができた。
娘と私で
お父さん 義足で走れる時代なのよ
そういいながら
夫を励まし続けて
義足を付けて歩く訓練が始まった
その時 夫は69歳
此処から
私と夫との4本足が3本足になって
夫と二人で3本の足の生活が始まった
夫の老後は 私と共に
新しい生活が始まった。
これが私には苦ではなかった
むしろ楽しかった
子供たちがしょっちゅう
旅行の計画を立ててくれて
家族の旅行を心から楽しんでいた。
夫の誕生日のお祝いも家族中で祝ってくれた。
その為にも 車いすを載せての旅行
温泉にもそのまま入れるような車いすを買い
車いすを載せての旅行
病院も すべてに車いすが必要だった
それで クラウンに決めた
どの車より
トランクが大きかった
頼んできた車は 3000というこれ以上大きな車はなか
つた
お父さんにクラウンを載せたかった
今迄のマーク2などの物ではなかった
素晴らしい車だった
夫が亡くなるまで
この車のお世話になって
夫は お母さんからクラウンに載せてもらうとは
有難いね~
3000はとにかくすごい車なんだよ
私には凄いのか なんだかわからないけれど
感謝していた。
夫はすべてに対して謙虚で人格者だった
この性格を作ってくれたのは夫の両親でもある。
母は元士族の出で夫は
クラウンに乗れるほどの人格者であり
ご先祖様代々渋谷区一帯の土地持ちでもあった
そんな家柄でもある。
見得でもなんでもなく
当然乗れる人だった
当たり前のことだった。
亡くなった今
夫と別れのせいで 思い出が一つずつ
私の心からもぎ取られるように手放していく
夫亡き後
思い出が一個ずつ手元から無くなっていく
人生で初めて経験することばかり。
夫さえ居てくれたらと思う。
さようなら クラウン
今度はね 1300の小回り君で調子よく運転しています。
夫の🎂誕生日 11月18日
11-18のクラウンとまた、同じナンバーで
夫とともに走っています。
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